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城崎出身、太田垣士郎が発案

城崎温泉ロープウェイは、「二十世紀のピラミッド」と称された黒部第四ダムを完成させた関西電力初代社長・城崎町出身の太田垣士郎が発案、関西電力の資金援助を受け町民も出資に参加、当時としては大きな資金を集め黒四ダム建設の技術を持ち込み工事に着工、昭和37年に会社設立し翌年城崎温泉の観光の目玉として営業を開始致しました。

開業から半世紀が経過した現在でも、ロープウェイ駅舎(山麓、温泉寺、山頂駅)のコンクリートは驚くほど健康で耐震診断で何の問題もないと太鼓判、黒四ダムの技術がこの城崎で生かされていることを実感できます。

STORY02

駅舎が国の登録有形文化財に認定

2017年には古い木造家屋以外でコンクリート造りの山頂、温泉寺、山麓の駅舎がそのデザインと建設ストーリーで国の登録有形文化財に認定され、城崎温泉の大きなアクセントになっています。

STORY03

重要文化財指定の「末代山・温泉寺」

温泉寺駅には千三百余年の歴史を持つ重要文化財指定の「末代山・温泉寺」があり城崎を、またこの地を訪れる多くのお客様を守護し、ロープウェイで多くの参拝者がおとずれています。

STORY04

大師山千本桜プロジェクト

2017年、「大師山千本桜」のプロジェクトをスタートし、この大師山を十年、二十年後桜でいっぱいにしたいと思っています。またこの豊かな自然環境を舞台にして新しい魅力づくりを続けていきます。

平成14年10月、城崎温泉ロープウェイ創業40周年の記念事業として、太田垣士郎翁を偲び、山麓駅前の庭園に翁の銅像(等身大)と資料館を建設し、翁の遺徳を顕彰いたしました。

太田垣士郎翁

語録

経営者が十割の自信を持って取りかかる事業。
そんなのもは、仕事のうちに入らない。
七割成功の見通しがあったら、勇断を持って実行する。
それでなければ本当の事業はやれるものじゃない。
黒部は是非とも開発しなけりゃならない山だ。

太田垣士郎翁の経歴

明治27年2月1日

開業医である父・隆準(りゅうせつ)氏、母・婦久(ふく)さんの長男として兵庫県城崎町で誕生

豊岡中学校、熊本第五高等学校、京都帝国大学経済学部を卒業
大正9年 日本信託銀行へ就職
大正14年 阪急電鉄(株)勤務
昭和21年 京阪神急行電鉄(株)取締役社長就任
昭和26年 関西電力(株)設立に伴い初代取締役社長就任
昭和28年 関西経営者協会会長就任
昭和31年 黒部川第四発電所建設着手、関西経済連合会会長就任
昭和36年 電気事業連合会会長就任
昭和38年 黒部川第四発電所竣工
昭和39年3月16日 逝去、享年71歳、正四位勲二等旭日重光章を贈られる

太田垣士郎翁と城崎温泉ロープウェイ

太田垣士郎翁は、前記の経歴にもありますように当地城崎町で出生され、その後,関西電力(株)初代社長、関西経済連合会会長を歴任されるなど、経済界の指導者として戦後の日本経済の復興をリードされ、今日の日本国繁栄の礎を築かれました。
こうした中で、故郷城崎町発展のため、観光施設としてくろよんダム建設時のノウハウを活かしたロープウェイ事業を発案され、関西電力(株)、阪急電鉄(株)、城崎町並びに地元有志などの多くの賛同を得て、昭和37年8月、翁の出席のもと、城崎観光(株)が創設されました。
このような経緯を経て、ロープウェイは城崎温泉街、円山川及び日本海を一望できる温泉寺大師山に1年近くの工事期間の後、昭和38年5月に完成し、現在も城崎温泉の観光施設の目玉として、お客様に親しんでいただいています。
因みに、温泉街とロ-プウェイで結ばれた大師山は、翁が幼年時代に友達と駆け巡り、遊ばれた思い出の場所でもあります。

資料館展示品

愛用の自宅の机・ゴルフクラブ・直筆の自画像・色紙・翁を知っていただくためのビデオ(くろよんダム建設関係他)・写真・新聞記事など

太田垣士郎翁銅像

[銅像原型師]高岡市 喜多敏勝 [銅像施工]高岡市 一真堂